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東京地方裁判所 平成5年(ワ)5926号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  被告らは原告に対し、連帯して金六〇〇万円及びこれに対する平成二年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二  当事者の主張

一  請求原告

1 当事者

原告(昭和五五年八月一日生)は、昭和六二年四月東京都大田区立丙川小学校(以下「丙川小学校」という)に入学したが、平成元年四月から七月まで、持病のぜん息の転地療養のため東京都大田区立丁原養護学校(以下「丁原養護学校」という)に転入し、その間家族と離れて寮生活を行った。そして、同年九月から平成二年八月ころまでの間、横浜市立戊田小学校(以下「戊田小」あるいは単に「学校」という)に在学(三学年及び四学年)したが、同月中には、東京都大田区立馬込第三小学校へ転校した。

被告横浜市は戊田小を設置しており、同乙山松子(昭和二一年七月二日生、以下「被告乙山」という)は被告横浜市の公務員で、原告の四学年時の学級担任であり、当時小学校教員歴二一年に及んでいた。

なお、原告の戊田小在学中の校長は斉藤芳蔵(以下「斉藤校長」という)であった。

2 被告乙山の違法行為

(一) 被告乙山の注意義務

(1) 被告乙山は、小学校の教諭として「児童の教育をつかさど」り(学校教育法二八条六項)、児童の心身発達に応じた教育的な指導を行う義務を負い、また、児童の両親から教育に関する話合いを要請された場合には右要請に応じ、両親から申し出られた教育的要求について教育的判断を下し、その教育専門的理由を説明する等の義務を負う。

(2) そして、学校教育法二八条六項の「教諭は、児童の教育をつかさどる」旨の規定には、教諭の児童に対する人間的能力発達の諸段階における教育専門的事項の決定権が規定されており、したがって、教諭は授業内容、教育方法、教材の選定、成績評価等の教育専門的事項の決定権を有するところ、右決定権は児童の学習権を専門的責任をもって保障するために教諭に認められているものであるから、右決定権が児童の学習権やその他の基本的人権を侵害する態様で行使された場合には、教諭の右決定権や教育的裁量の逸脱・濫用として違法性を呈し、また、教諭が右義務に沿って誠実に応答せず保護者たる両親の教育権を侵害した場合にも、教諭の右義務違反としてその教諭の行為(作為のみならず不作為の態様も含む)は違法となる。

(二) 具体的違法行為

被告乙山は、担任として受け持った原告に対し右注意義務を負っていたにもかかわらずこれに反し、平成二年四月から七月(以下特に断らない限り、平成二年の出来事であり、月日のみで表現する)までの四学年の一学期間中に、原告を戊田小から排除しようとする意図に基づいて以下の一連の違法行為を行った(以下「何々事件」と称するのは原告の用法に従ったものである)。

(1) 異常視発言事件

ア 被告乙山は四月半ばころ、掃除の時間に受持学級の児童の前で「甲野さんに掃除の仕方を教えてあげて」、「面倒を見てあげて」などと発言した。

また、同被告は四月二〇日(金曜日)、ぜん息の発作のため授業途中からの登校を余儀なくされた原告を迎えるのに、学級の児童全員の前で「よく来たじゃない。皆さん甲野さんに拍手しなさい。よく学校に出てきましたから」と発言し、他の児童に原告を拍手で出迎えさせた(以下「異常視発言事件」という)。

イ 被告乙山の右発言、対応は他の児童に対し、あたかも原告が精神面の発達が遅れている異常児であるかのような誤った印象を与えた。そのため、その際原告は他の児童から「途中から来るような病人は(学校に)来るな」、「きたない、そばへ来るな、(病気が)うつる」などと言われたが、同被告はこのような言動を知りながらこれを制止しようとしなかった。そのためか、他の児童の原告に対する嫌悪感は歯止めの効かない状態となり、更に、同日午後三時三〇分ころ原告宅に、女子児童数名の声で「なんで学校に来るの。死ねば。前の学校へ行け。ばい菌。能なし」などという電話まであった。

ウ 原告は、被告乙山の右異常視発言をきっかけに、友人関係で悩むようになった。

なお、原告の母甲野花子(昭和三一年八月二二日生、会社員。以下「花子」という)は、四月二一日に異常視発言事件に関して同被告に面談を求め、原告が友人に意地悪をされていることを訴えた。

(2) 写生事件

ア 被告乙山は、四月末に行った二日続きの写生授業の際、原告に対し「あんたの絵は下手くそね、やり直し」と言いながら、水をたっぷりつけた筆で原告が描いた水彩画の彩色された絵の具を洗い落とした。そして、翌日も原告に対し、同学級の児童甲田竹子(以下「甲田」という)が見ている前で「全くあんたは教えても分からない子ね。もういい、塗れば塗るほど下手になるから止めなさい」と言った(以下「下手くそ発言」という)。そして、その直後隣に座っていた同学級の児童乙野梅子(以下「乙野」という)に対しては、原告に聞こえるように「画家が描いたように上手」と褒めた(以下「写生事件」という)。

イ 被告乙山は絵画の授業においても児童の長所を伸ばすよう指導すべきであったところ、右言動はおよそ教育的配慮を欠いたいじめに近い所為であり、原告の感情を傷つけ、健全な成長を妨げる一因となった。

(3) 宿題事件

ア 原告は五月一一日(金曜日)、やり終えた宿題(漢字ドリル)を自宅に置き忘れて登校したため、提出することができなかった。

ところが、原告が右不提出の事由として、宿題はやってあるが自宅に置き忘れてきた旨を被告乙山に告げると、同被告は原告に対し「本当にやったの。信じられない」、「今日帰ってから書いても明日出せるものね。明日持っていらっしゃい」と顔も見ずに言い、原告の言い分を全く信用しようとしなかった。また、その際他の児童が原告に対し「嘘だ。嘘つきだ」などと囃し立てたが、同被告はこれを制止することなく放置していた(以下「宿題事件」という)。

イ 被告乙山は他の児童のいる前で原告を嘘つき呼ばわりするという教育的配慮を欠いた行為を行い、これにより直接原告の感情を傷つけただけでなく、担任教諭の右言動に影響されて他の児童が原告を嘘つきなどと囃し立てるといういじめ行為まで引き起こす結果となったが、同被告は右状態を全く制止することなく放置していた。

(4) センター事件

ア 原告は宿題事件で被告乙山が採った対応にひどく衝撃を受けて体調を崩し、翌日の五月一二日(土曜日)は到底登校できる状態ではなく、戊田小に転校して以来初めて学校を休んだ。

そこで、花子は被告乙山に対し電話をかけ、宿題事件及び右事件で原告が受けた精神的衝撃を強く訴えたところ、驚くべきことに、同被告は「宿題をやっていようといまいと忘れたことは忘れたこと、そんなにいい顔できますか。叱ってどこが悪いんですか。教師の私にそんなこと聞かないで、自分のお子さんを叱るのが先でしょう」とおよそ教育者にあるまじき発言をし、原告のみならず、母親の花子の感情までひどく傷つけた。

また、右以外にも、花子が写生事件について事実関係を問い質したのに対し、被告乙山は原告を扱いにくい児童であると非難した。更に、同被告は花子を学校に呼び出した上、同人に対し、子供は自己に都合の良いように話すことが多いから信用しないように、先生が全部正しいと決めてかかって大丈夫であるなどと話した。

イ 原告は五月一四日(月曜日)学校に遅刻した。

すると、被告乙山は同日夜原告方に電話をし、花子に対し横浜市養護教育総合センター(以下「市センター」という)に相談に行くように強く勧めた。花子がこれに対し懐疑的な態度を示すと、同被告は同月一二日の欠席及び一四日の遅刻を登校拒否と決めつけ、市センターに相談に行くよう固執した。右電話の際、同被告は、右欠席及び遅刻を同被告に対する原告の反抗的態度の表れとも決めつけ、原告が以前に丁原養護学校に通っていた経歴のあることを指摘して「何か特別な学校から来ているけど」、「見た目は普通なだけに余計にこわいんですよね」、「(おかしいときには)どうなっちゃうんですか」などと述べ、原告が心身異常児であるかのように取り扱い、花子及び原告を傷つけた(以下「センター事件」という)。

ところで、五月一五日には遠足行事が控えており、原告は前日の一四日までは遠足に参加するつもりでいたが、右センター事件で担任教諭から傷つけられた上、遠足のことを聞くため同学級の児童に電話したところ、同人から「遠足にだけは行くんだ。病気をうつさないでよ」と言われたこともあって、一層深く傷つき、担任教諭や友人から心身異常児であるかのように取り扱われている気持になり、ついに遠足に参加する意欲を喪失した。

原告は遠足当日の五月一五日朝、失望感、孤立感から起き上がることもできないほどであったため、結局遠足には参加せず、午前中に自宅学習したノートを同日昼ころ職員室へ届けた。

ウ なお、五月一六日(水曜日)に花子が市センターに電話し、市センターの対象児童につき問い合わせたところ、係員から、市センターは精神薄弱児や特殊学級児童を対象としており、通常、健常児童を相談に連れてくることはない旨の説明を受けた。そこで、直ちに花子は学校に斉藤校長を訪ね、被告乙山から市センターを紹介された旨話したところ、同校長は同被告が花子に市センターを紹介したことを知らず、また市センターは原告のような状態にある児童を対象とする所ではない旨即座に断言した。

エ 被告乙山が斉藤校長に相談することなく他の公共教育機関を紹介することは担任教諭としての権限を逸脱した行為であり、また、教師としての原告に対する教育指導義務を免れようとした行為であって、右行為は同被告が原告を受持学級から排除しようとする意思の表れである。

(5) 空耳事件

ア 被告乙山は、五月一六日夜原告方に電話をして花子に対し、市センターに行くよう執拗に言い続けた。これを花子が拒否すると、同被告は「絵が下手くそなんて言っていないのに(言ったように)お母さんに報告したり、おかしな行動があります」、「春子さんの空耳か、夢でも見たのでしょう」と言い、花子が他の児童(甲田)も同被告の発言を聞いていると反論すると、同被告は「全員そろって何か空耳でも聞こえたのでしょう。不思議なことがあるものですね」などと言い、あくまでも原告を市センターに行かせるよう固執した(以下「空耳事件」という)。

イ このため、原告は被告乙山から、自分の言い分を信用してもらえず、また、心身異常児のように扱われていると考えるようになり、同被告に対する不信感を募らせるようになった。

(6) 責任転嫁事件

ア 原告は五月一九日(木曜日)には登校した。

被告乙山は原告及び甲田を休み時間に教室外へ呼び出し、写生事件の際の原告に対する下手くそ発言を否定し、その事実を殊更隠蔽しようとした。そこで原告が「でもそんなこと言われても私は耳でちゃんと下手くそと聞いたのに、先生はお母さんに空耳で聞こえたといって電話してきたでしょう」と言うと、同被告は「先生はそんなこと言っていないのに、お母さんはそんな事を言ったの。ひどいお母さんね。先生の方を信じてね」と嘘をついた(以下「責任転嫁事件」という)。

イ 原告は、被告乙山の責任を花子に転嫁しようとする態度に接し、同被告に対する不信感を一層強めた。

(7) 校内捜索事件

ア 原告は被告乙山から前記(1)ないし(6)のとおり精神的虐待を受けた結果、特に五月一四日(センター事件)ころから同被告の顔を見ると精神的緊張から手に汗をかいたり腹痛を起こしたりするようになっていた。しかし、その後も同被告の原告に対する精神的虐待はいっこうに止まず、原告の右症状は悪化の一途を辿った。

イ 原告は五月二八日(土曜日)に激しい腹痛のため学校を休んだところ、同日夕方近くに、斉藤校長及び被告乙山が原告宅を訪れ、右両名で原告及び花子に対し、それまでの同被告の至らない行動について謝罪した。

そこで、花子は斉藤校長に対し、更に原告が被告乙山に起因する精神的緊張から腹痛を起こすため登校に不安がある旨訴えたところ、同校長から、原告が学校内で腹痛等の身体の不調を訴えた際には保健室で静養して様子を見てもよい旨約束したため、花子も原告を極力登校させるよう努力することにした。

ウ ところが、原告が、五月三〇日(月曜日)に登校すると、同学級の児童丙山夏子(以下「丙山」という)から「なんで来るの、ずうっと休めば」と言われ、更に、以前に原告が宿題を忘れたことをとらえて「『私は宿題を忘れました』という札を首にぶら下げておけば」とからかわれた。

また、丙山はその場に居た同学級の児童丁川秋子(以下「丁川」という)に対しても、同人が学級文庫の返却をしないということで「『私はばかです』という札を首にかけよう」と言い、まわりの児童とともに囃し立てた。

そこで、原告と丁川は授業開始前に職員室に赴き、丙山の右言動を被告乙山に告げて丙山に対し注意を与え、右両名を保護するよう求めたところ、逆に同被告は右両名の行動を告口に来たと非難してその訴えに耳を貸さず、両名をその場に置き去りにしたまま一時限目の授業があるため教室へ向かった。同被告の思いがけない対応に衝撃を受けた原告は、突如体調の悪化を覚えたので、教室へは行かず黙って丁川と共に保健室へ行って休養した。

他方、教室に戻った被告乙山は学級の児童に、原告と丁川を捜させた。そして、四時限目になって、同被告が右両名を保健室から教室に連れ戻したが、その際、他の児童が原告に対し「どこへ行っていたの」、「いないから道路まで捜しにいった」などと言い出したのに同被告はこれを制止しなかったばかりか、逆に「全くみんなに迷惑をかけて授業をさぼってどこへ行っていたんですか、謝りなさい。」と言って右両名を謝らせた(以下「校内捜索事件」という)。

エ しかし、原告が被告乙山に断らずに直接保健室へ行ったのは、五月二八日に原告宅を訪問した斉藤校長及び同被告から体調が悪い場合には保健室へ行って休んでいてよい旨の了解を取り付けていたからである。また、同被告は、一時限目の途中から原告と丁川と共に保健室及びその隣室の保健準備室(以下「保健準備室」という)に居たのであるから、その後右両名が授業をさぼっていたのではないことを知っていたにもかかわらず、右両名が四時限目に教室へ戻った際、右不在の経緯及びこれに対する正当な事由のあることを同学級の児童に告げなかったばかりか、右両名に謝罪させることにより、原告を「(教室からいなくなって学級のみんなに迷惑をかける)困り者」、「問題児」等と印象づけて、学級の邪魔者として排除しようとしたものであり、教育的配慮を欠いた同被告の右処置は、原告を深く傷つけた。

(8) 保健室事件

ア 被告乙山及び学級の他の児童が原告と丁川を校内捜索していた当時、右両名は保健室で五分ほど休んでいたが、その後、教室へ戻るため保健室を出たところで、両名を探していた同被告に出会った。その後、同被告が右両名を再び保健室へ連れて行き、一時限目の途中から三時限目開始直後ころまで同所において三人で丙山の言動について話合いをした。

イ 右話合いの中で、被告乙山が「どれだけ注意しても、明日からみんなが良くなるわけではないから、気にしないこと」と言ったため、原告が双方の意見を聞き問題を解決するよう望んだところ、同被告は「じゃ丙山さんを連れてくるから気が済むまで喧嘩して負けたほうが子分にでもなりなさい」、「(丙山さんの)子分になった方がうまくいくわよ。私も小学校のとき、親分みたいな子の子分になってうまくいったことがある」と言い、三時限目の初めころ、同被告は丙山を保健室へ連れて来て「はい、連れてきたわよ。好きなだけ喧嘩しなさい」と言って、原告、丁川及び丙山の三名を残してその場を退席した(以下「保健室事件」という)。

ウ このため、原告は被告乙山に喧嘩をするように言われたと考えてその指導方法に疑問と不信感、戸惑いを覚えた。

(9) 尋問事件

被告乙山は、六月になると毎日のように放課後等学課外の時間に原告と一対一で話をする機会を設け、原告に対して「昨日お母さんに何を報告したの」、「覚えていることはできるだけ話しなさい」ときつい調子で細かい点まで、長いときには三〇分もの間、質問をした。

原告が、以前と矛盾することを言うとその都度食違いをきつく指摘されるという具合で、被告乙山の質問の態度はまるでテレビドラマ等で見る警察官による被疑者の取調べの尋問のようであった(以下「尋問事件」という)。

このため、原告は六月九日(木曜日)に花子に対し、被告乙山から受けた右質問の様子を伝え、登校を拒んだ。そこで、花子は同日、同被告に対し、原告に質問することを止めてほしい、原告は登校を嫌がっている旨告げたところ、同被告は原告が来週から登校を拒否する意思表明であると断定的に受け止めるとともに、再度、市センターに相談に行くよう強く勧めた。

(10) 学級発表事件

ア 六月九日(金曜日)ころの道徳の授業で、児童それぞれが今まで学校で起きたことで一番嫌だったことを発表する機会が設けられた。

原告は写生授業の折の被告乙山の下手くそ発言についての話をしたところ、他の児童が「先生がそんなこと言うわけないじゃないか、お前嘘つき」と言った。ところが、同被告はこれを制止することなく、自らも「先生がそんなこと言うわけないよね」と言った(以下「学級発表事件」という)。

イ 被告乙山の右行為により、学級の児童による原告に対するいじめは是認され、助長された。

(11) スイミングスクール事件

ア 原告は七月中旬ころ、かねてから個人的に通っていたスイミングスクールに行ったところ、同じスクールに通っていた同学級の児童戊原一郎(以下「戊原」という)から「同じプールに入ったら病気がうつる」と言われ避けられた。そこで、花子が被告乙山に対し、電話で原告の欠席理由を学級の他の児童に対してどのように説明しているのかを尋ねたところ、同被告は「完全に治さないと人にうつるような病気のため保健室に行ったり、欠席したりしている」と説明している旨返答した(以下「スイミングスクール事件」という)。

イ 原告は以前から自分が伝染病にかかっているかのように同学級の児童に思われているのではないかと考えていたが、スイミングスクール事件がきっかけで、自分は伝染病のために保健室に行き、学校を休んだりしていると思われていると知るに至り、以後登校できなくなった。

(三) 原告は以上のような被告乙山の本件一連の違法行為及び自らの右違法行為を否定する言動(同被告は原告への八月八日付け手紙において、自己のそれまでの行為を正当化しようとし、また、いずれの事件も児童同士の意思疎通の不足が原因であるかのように述べて、自らの責任回避を図る言動をしている)により、担任教諭である同被告に対して根強い不信を抱くに至り、登校拒否の状態に陥り、更に精神的打撃から外出不可能な状態にまで陥った。

3 斉藤校長の違法行為

(一) 斉藤校長の注意義務

校長は「校務をつかさどり、所属職員を監督する」義務を負っている(学校教育法二八条三号)のであるから、本件一連の事件当時、斉藤校長には、被告乙山の指導に問題があると判断した場合には同被告に対し、迅速かつ適切な指導を行い、また、同被告が担任教諭の任務に耐えないと判断した場合には即刻その職から解く等の措置を講ずべき注意義務があった。

また、斉藤校長自身も原告及び原告の両親と学校との信頼関係を回復するよう適切な措置を講ずべき注意義務を負っていた。

(二) 具体的違法行為

(1) 斉藤校長は五月一六日(水曜日)に花子からセンター事件のことを告げられて以降、度々同人から被告乙山の原告に対する言動に関して相談を持ちかけられ、同被告による本件一連の行為の結果、そのころ原告が登校拒否に陥ったことを知り、同被告の原告に対する指導に問題があることを認識していた。

しかし、斉藤校長は何らの対策を講じることなく漫然とこれを放置し、特に五月半ば以降、原告が保健室に逃避し初め、六月半ば以降は学校自体を拒絶して登校を拒否するという毎日で、学校教育を全く受けられない精神状態になっていたにもかかわらず、何ら事態を改善する有効な措置をとらなかった。

(2) さらに、斉藤校長は六月一六日(木曜日)に、校長室において、古沢副校長(以下「副校長」という)及び花子の同席の上、来る七月五日開催予定の保護者会には副校長が出席し、原告の置かれている現状の説明をして、事態の解決を図ることを約束したにもかかわらず、七月四日、副校長も同席の場で、原告の父甲野太郎(以下「太郎」という)に対し「お子さんのことですが、いい加減にしたらどうでしょう。奥さんを説得して早めに(原告を)登校させたほうがいい。その方が指導要録にも傷がつきませんし、よく考えてみられたらどうでしょう。お宅のお子さんのことをよく調べてみたら、前の学校でも評判が悪いですね」と言い、かえって圧力をかけるような言動に及んだ上、七月五日の保護者会においても前記約束に反して副校長は原告の置かれている現状を報告して事態の解決を図ることをしなかった。

そこで、花子は原告を連れて翌七月六日に学校に赴き、斉藤校長に面会を求め、前日の保護者会で約束を果たさなかったことを指弾すると、同校長は「お母さん、そんなことはどうでもいいじゃないですか。もう家庭と学校がお互いに悪かったということで、この話はチャラにしましょう。お互いグダグダ言いっこなし」と言い、更に「この前、お父さんに来ていただいて指導要録の話をして、決して悪いようにはしないと言ったら、何も言わずお帰りになりましたよ。少し利口になったらどうですか、お母さん」と指導要録のことまでちらつかせ、被告乙山の本件一連の違法行為のもみ消しを図った。

また、右機会に斉藤校長は花子及び原告に対し、丙川小学校でも二学年時の担任教諭宮内一弘(以下「宮内教諭」という)が原告の指導で苦労していた旨告げるとともに「これは見せることができないから、読み上げてあげましょう。お母さんも自分のお子さんを正しく評価できますよ。『欠席日数、五二日、原因は心因性によるもの。性格、自分の気に入らない相手に対しては、とても攻撃する』つまり反抗する子どもで手におえないということだ。心因性ね。乙山さんが奇妙な子どもだと思うのも当たり前だ」と言いながら、宮内教諭が記載した原告に関する小学校児童指導要録(以下「本件指導要録」という)中の当該部分を読み上げた上、花子に対しては「少しは自分のお子さん分かりましたか」と言い、原告に対しては「あんたがそんなにいい先生と思っている先生からも、実はこんなに嫌われていたんだよ。よく分かったでしょう」と言った。更に同校長は「……学校の先生たちはみんな記録しているんだよ。そしてそれはあなたがお母さんになるころまで、『この子はこんな子どもでした』と残るんだよ。それに『わがままで、いつも保健室にいて勉強していません』と書かれると、おとなになってから人に笑われるよ。あなたは、一人っ子でお母さんが何でもいうことを聞いてくれるから、学校も自分の思いどおりになると思っている。それはわがままだ。考え直しなさい」と述べた(以下「指導要録読上げ事件」という)。

(3) 原告は斉藤校長の、前記約束違反行為や指導要録読上げの言動等により、教師及び戊田小に対して抱いた不信感を更に深め、根強いものにし、登校拒否の事態から外出不可能な状態にまで深刻化していた精神状態はついに回復不能になった。

4 被告らの責任原因

(一) 被告乙山の個人責任

(1) 学級担任教諭には、児童の心身の発達に応じて教育的な指導を行う義務があるにもかかわらず、被告乙山は右義務に違背し、前記1の(1)ないし(11)記載のとおり〈1〉原告に精神発達上の異常があるかのように取り扱って、人格的な攻撃を加え、また、〈2〉他の児童らの原告に対するいじめを放置して、教師の児童へのいじめともいうべき精神的虐待行為を行った。

のみならず、被告乙山は右一連の精神的虐待行為を行った後の処置にも適切さを欠いた。すなわち、同被告は、他の児童やその両親と原告との間の信頼関係の回復等、精神的に傷つけられた原告が登校できるように学級環境を整えるために最大限の努力をすべき注意義務があるにもかかわらず、右注意義務を怠った。

(2) なお、被告乙山は被告横浜市の公務員であり、被告乙山の前記各所為は公権力作用の行使に該当するところ、右行使につき、国家賠償法一条一項に基づき国又は公共団体が損害賠償責任を負う場合には、違法行為を行った公務員自身は損害賠償責任を負わないとする見解があるが、同法条は、本件一連の行為から明らかなように、教諭としての立場を逸脱し、故意に原告に対して不法行為を行った同被告のような者に対してまで免責する規定ではない。

したがって、被告乙山は後記被告横浜市と並んで民法七〇九条に基づき原告の被った後記5の損害につき賠償義務を負う。

(二) 被告横浜市の責任

被告乙山及び斉藤校長は、被告横浜市の公務員であるから、被告乙山の前記各行為はすべて担任教諭の教育活動の一環として行われ、斉藤校長の前記行為は校長としての職務活動の一環として行われたもので、いずれも公権力の行使に該当するところ、同被告及び斉藤校長は故意又は過失で違法に原告に対して後記5の損害を与えたものである。

したがって、被告横浜市は国家賠償法一条一項に基づき原告に対して、原告の被った右損害につき賠償義務を負う。

5 損害

(一)(1) 原告が転校を余儀なくされるに至った経緯

七月五日の保護者会で副校長から、原告が保健室にしか登校できなくなっている現状の報告がされなかったことや、七月三一日に花子が戊田小へ赴き、斉藤校長及び被告乙山に対し、原告が同被告宛に書いた五月三〇日の校内捜索事件に関する原告の言い分を記した手紙を見せたところ、同被告が原告が帰宅したのかと考えて必死でみんなで探した旨説明したことから、花子と同被告との間で原告の言い分の真否を巡り意見対立が生じ、花子は同被告の原告への不信感をその態度に感じたこと、また、同日副校長が花子に対し、同被告には原告の両親及び原告に対する謝罪文を書かせる旨約束したが、同被告が八月八日に原告宅へ持参した原告ら宛の手紙の内容は原告らの意に沿うものではなかったことなどから、原告らは同被告に対してだけでなく、斉藤校長に対しても不信感を抱き、戊田小に原告の教育をゆだねられないと考え、転校を決意した。

(2) 原告は被告乙山及び斉藤校長の前記一連の行為により登校することができなくなっただけにとどまらず、外出することすらできないほどの精神的損傷を受け、遂には戊田小への不信感から転校を余儀なくされたものであり、これにより被った精神的苦痛を慰藉するには金五〇〇万円をもってするのが相当である。

(二) また、原告は本件訴訟の提起及び追行を本訴原告代理人弁護士らに委任し、その報酬として金一〇〇万円(右報酬は日弁連報酬基準に基づく)を支払うことを合意し、右相当の損害を被った。

6 結論

よって、原告は、被告乙山に対しては民法七〇九条に基づき、被告横浜市に対しては国家賠償法一条一項に基づき、各自損害賠償として金六〇〇万円及びこれに対する被告乙山及び斉藤校長の本件一連の不法行為が終了した日の後である平成二年九月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1(当事者)の事実は認める。

2 同2の事実について

(一) 被告乙山の注意義務について

被告乙山が、「児童の教育をつかさど」り(学校教育法二八条六項)、児童の心身発達に応じた教育的な指導を行う義務を負うことは認め、その余は争う。

(二) 具体的違法行為について

(1) 異常視発言事件について

原告が四月二〇日に花子と共に登校した際、被告乙山が原告主張の発言をして原告を迎えたことは認め、その余は否認する。

被告乙山は、当日右発言の直前に、原告の登校に付き添って来た花子から原告が友人とのことで登校を嫌がっている旨の報告を受けたので、頑張って努力して登校した原告の行為を積極的に評価し、他の児童たちと共に励まそうとの意図の下に右発言及び対応をしただけであって、原告を殊更異常視したものではない。

(2) 写生事件について

被告乙山は原告に対し、四月末ころの写生授業の際、原告の水彩画の彩色が濃かったので色を薄くするよう指導して水で薄めたことは認めるが、その余は否認する。

被告乙山は重ね塗などで色が濃くなっている場合は、他の児童にも原告に対してしたのと同様の指導をしているものである。また、原告主張の下手くそ発言など全くしていない。

(3) 宿題事件について

原告が五月一一日に宿題を提出しなかったこと及び被告乙山が「明日持っていらっしゃい」と述べたことは認め、その余は否認する。

(4) センター事件について

原告が五月一二日に欠席したこと、同日花子が被告乙山に電話をしたこと、同被告が五月一四日に花子に対し、電話で市センターを紹介したこと、花子が五月一六日に斉藤校長を訪ねて市センターに関する件の話をしたこと及び同校長は花子から話を聞かされるまで同被告が市センターを紹介したことを知らなかったことは認める。花子が市センターへ電話をかけたこと及びその問い合わせ内容等は知らず、その余は否認する。

(5) 空耳事件について

五月一六日夜に被告乙山が原告方に電話をし、花子と話をしたことは認めるが、その余は否認する。

(6) 責任転嫁事件について

原告が五月一九日に登校したことは認めるが、その余は否認する。

(7) 校内捜索事件について

ア 五月二八日の事実について

五月二八日に斉藤校長と被告乙山が原告宅を訪問して謝罪の意を表したこと(ただし、同被告らが謝罪の意を表したのは児童及び児童の両親と教諭の対立関係を教育的見地から回避したいとの意図によるものであり、原告主張の事実を認めたからではない)、右同日原告が腸炎を理由にして学校を欠席したこと、同被告に起因する精神的緊張から原告が腹痛を起こし登校に不安があると花子が訴えたこと、原告が体調を崩した場合には保健室で静養をして様子を見てもよいという趣旨の話を斉藤校長がしたこと、花子が原告を登校させるよう努力すると言ったことは認め、その余は不知ないし否認する。

イ 五月三〇日の事実について

原告の丁川が五月三〇日に被告乙山に対し、丙山の行為について苦情を申し立てたこと、右両名が教室へは行かず同被告に黙って保健室へ行っていたこと及び同被告が他の児童に右両名を探させたことは認め、その余は否認する。

(8) 保健室事件について

五月三〇日に保健準備室において原告、丁川及び丙山の三人のみで話し合わせたことは認め、その余は不知ないし否認する。

(9) 学級発表事件について

六月九日に原告の学級で一番嫌いに思ったことを発表する道徳の授業が設けられたこと、原告はその際写生のときの出来事をいちばん嫌だったと言ったこと、一人の児童が右発言に反発し、掲記の趣旨の発言をしたことは認め、その余は否認する。

(10) 尋問事件について

否認する。

(11) スイミングスクール事件について

花子が被告乙山に対し電話をした事実及びその内容は否認し、その余は知らない。

3 同3(斉藤校長の違法行為)の(一)のうち、校長が「校務をつかさどり、所属職員を監督する」義務を負っていること(学校教育法二八条三号)、(三)のうち、斉藤校長が六月一六日校長室において副校長同席の上、花子から相談を受け、七月五日の保護者会で副校長から原告の現状を報告して事態の解決を図る趣旨の話をしたという原告の主張は、原告の不登校の件について解決を図るという意味での話合いであったという限度で認め、また七月四日に太郎が学校の要請で同校長及び副校長と面接したことは認めるが、その余は否認ないし争う。

原告が主張する指導要録の件に関しては、斉藤校長ではなく、副校長が登校を嫌がる原告に対する改善策の一つとして、教育指導の観点から花子に対し、原告の前学校(丙川小学校)二学年時の指導要録には自分に気に入らないことをされると友人をとても攻撃するとの記載があるが、原告は友人関係はどうであったかと尋ねたことがあるにすぎない。

4 同4(責任原因)について

(一) 同4(一)(被告乙山の個人責任)の(1)のうち、担任教諭には、児童の心身の発達に応じて教育的な指導を行う義務があることは認め、その余は否認し、同(2)の主張は争う。

(二) 同4(二)(被告横浜市の責任)のうち、斉藤校長及び被告乙山が被告横浜市の公務員であることは認め、その余は争う。

5 同5(損害)は否認する。

三  被告らの主張

1 被告乙山

国家賠償法一条一項に基づき国又は公共団体が損害賠償責任を負う場合には、違法行為を行った公務員自身は直接損害賠償責任を負わないのであるから、被告乙山は原告に対しいかなる損害賠償責任も負わない。

2 被告ら

(一) 問題の所在

原告は「何々事件」と称して甚だ不自然な事実を縷々主張するところ、その主張事実はいずれも原告及び花子が殊更に事実を曲解し、誇張し、存在しない事実を存在するかのようにとらえた上、原告の不登校の原因をすべて第三者(被告乙山や他の児童)のせいにするという極めて自己中心的、一方的な考え方をした結果のものである。とりわけ、花子は同被告が市センターを紹介したことから、原告が心身異常児として取り扱われていると勘違いをして激怒し、同被告の指導方法に対し市センターを紹介された以前の事柄にまで遡りことごとく疑問を抱くようになり、同被告の言動を何一つ信じようとせず、逆に原告の訴えるところをすべて真実と妄信し、同被告の原告への対応が不当であると考えてことごとく憤慨して、同被告と対立し、事態を深刻化させていったものである。

被告乙山は原告に対して同人の主張する精神的虐待行為を何ら行ってはいないし、そもそも原告に対しそのような行為をする理由や原告を戊田小から排除する理由もない。

(二) 被告乙山及び斉藤校長の教育作用の正当性

被告乙山が花子に対し、五月一四日に市センターを紹介したのは、他意があったものではなく、五月一二日に電話で花子から原告が宿題の件で登校を嫌がっていると聞いた(原告は丙川小学校二学年のときも五二日心因性の病欠をしていた)ところ、同被告だけでは専門的知識に欠けるので専門家のいる市センターで相談をしてみたらよいのではないかと考えたことに加え、原告及び花子の話が余りにも事実に反し、一連の事実経緯を踏まえると、問題解決の為には専門家に相談してもらうのがよいと判断したためである。

また、被告乙山は市センターを紹介する以外にも、原告が少しでも登校し易い環境をつくるため、友人関係を含め良好な学級環境を維持できるように配慮し、また、原告が欠席した場合には同被告が原告に対し連絡事項を手紙に書いて渡すなど直接、間接に配慮をし、更に、事実を同被告の考えと異なって把握し、両親に語る原告の言動に対し、原告の言動の是非をいちいち質すということはせず、原告の立場にも配慮して、原告や花子に対して指導助言した。

被告乙山が原告らに対して採った指導方法等は、四学年という小学校高学年の心身発展段階にある児童に対し、自主性や自立性を養わせるという教育的配慮から、三学年時とは異なり時に厳しく、同被告に庇護を求める原告を突き放すような教育指導したこともあったが、いずれの指導方法も、担任教諭としてその時々の具体的状況を踏まえて判断した上で採られた相当なものであることは明らかである。

第三  当裁判所の判断

一  被告乙山に対する請求について

先ず、被告乙山の個人責任について検討するのに、原告は同被告の本件一連の行為が国家賠償法一条一項の規定する「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて」した行為に当たるとして本訴を提起し、維持しているところ、そうであるならば、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うにつき故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたという場合には、国又は公共団体が賠償の責を負い、職務の執行に当たった当該公務員個人はその責を負わないものと解すべきである(最高裁判所第三小法廷昭和三〇年四月一九日判決・民集九巻五号五三四頁)から、同被告に対する本訴請求はその余について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。

二  被告横浜市に対する請求について

1 原告は被告乙山及び斉藤校長の各所為が原告に対する違法な公権力の行使に当たると主張するので、以下個別に検討する。

(一) 先ず、原告が戊田小へ転入するまでの事実経緯及び同学校における原告の生活概要等について検討するのに、《証拠略》を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 当事者の関係

ア 原告は昭和六二年四月に丙川小学校に入学したが、持病となっていたぜん息の転地療養のため、平成元年四月から丁原養護学校(東京都大田区在住の小学校三学年から六学年までの児童で、(1)ぜん息、(2)肥満、(3)病弱・虚弱、(4)偏食が甚だしく栄養状態が悪いのいずれかに該当する児童を対象とし、個々の児童に応じた健康及び栄養指導と規則正しい生活により健康の回復増進を図り、自主性・自立性を養うことを目的とした全寮制の養護学校である)の三学年に転入し、同年七月までの間、同学校寄宿舎において集団生活をしていた。

その後原告は、平成元年九月に戊田小の三学年(担任教諭木場健二、以下「木場教諭」という)に転入し、同月から平成二年八月半ばまでの間、戊田小の三学年及び四学年に在学した。平成元年当時、戊田小は児童数六七四人で、原告の属した三、四学年は三学級であり、そのうち原告の進級した四年三組は生徒数三四名であった。

イ 被告横浜市は戊田小を設置しており、同学校には精神薄弱児や情緒障害のある児童が就学している特殊学級(担任教諭田中某)も設置されていた。

被告乙山は、被告横浜市の公務員であって、原告の四学年時の学級担任教諭であると同時に四学年の学年主任(校長の監督を受け、当該学年の教育活動に関する事項について連絡調整及び指導、助言に当たる。学校教育法施行規則二二条の三第四項)を兼務していた。また、同被告は昭和四四年四月以来約二〇年間の教諭経歴を有する。平成二年当時は戊田小勤務六年目の年に当たり、それまでに一、二、五及び六学年の担任教諭を経験していたが、学年主任に就任したのは平成二年四月の四学年がはじめてであった。なお、同被告は平成四年四月戊田小から他の小学校へ転任したが、平成三年四月から右転任までの一年間は三学年の担任教諭兼学年主任を務めた。

また、斉藤校長は原告が戊田小在学中の校長であり、被告横浜市の公務員であった。

(2) 原告の生育歴

原告は昭和五五年八月一日に太郎、花子夫妻の間に出生した一人っ子であり、両親が共働きであったため、小学校へ入学するまでは保育園に通い、昭和六二年四月に丙川小学校に入学した。

原告は小学一学年時(担任教諭稲木信美)には全学期を通じ一〇日間の欠席であったが(欠席理由は風邪によるとするものが八日、ぜん息によるとするものが二日)、小学二学年時(担任宮内教諭)には全学期を通じ五二日間欠席しており、本件指導要録には右欠席のほとんどが心因性の病欠であると記載されている。

また、右指導要録における各学年時の担任教諭による原告に対する学習行動及び性格に関する所見をみると、小学一学年時には学習面の記録のみ記載されており、それは「伸び伸びとしたよい絵をかく」というものであるが、小学二学年時になると、行動及び性格面に関し「小さいこととても神経質である。自分の気にいらないことをされると友だちをとても攻げきする」という記録が残されている。なお、原告に交付される通知表には差し障りのないことが記載されている。

ところで、原告は二歳ころからぜん息の発作を起こすようになり、持病となっていた。

平成元年春ころ、原告の両親は、原告(当時小学三学年)のぜん息の発作の悪化を理由に同年四月から原告を丁原養護学校の三学年に転入させ、その後同年七月までの間原告は同学校寄宿舎において単身で生活し、両親とは月に一度面接の機会を与えられるだけで、そのほか電話連絡も取れないという状況に置かれた。結局、原告は右養護学校には一学期だけ在籍したが、その間欠席は全くなかった。

丁原養護学校における生活は、健康状態に悩みを抱える他の児童と共に全寮制の集団生活を行う中で、その健康状態の回復増進等を図ることを前提とするものであり、児童は最低一年間は同学校へ通う必要があるところ、原告も同学校に転入した平成元年四月当初は一年間同学校へ通う予定であったが、何らかの事情で、同年七月に太郎が横浜市《番地略》所在のマンションを購入し、原告ら家族共々同マンションに転居し、これに伴い原告は平成元年九月に戊田小の三学年に転入した。

なお、戊田小への転入手続の際、前学校が丁原養護学校であったため、担当の緑区役所職員から健常児童の通学する戊田小ではなく、甲川養護学校へ転入することを勧められ、原告自身が右担当者から「自分の名前が言えるかな」、「お話はできるかな」、「字は読める」などと質問され、あたかも知恵遅れの児童であるかのような扱いを受け、原告及び花子は深く傷ついたという経緯があるが、最終的には、東京都大田区教育委員会からの緑区役所及び戊田小校長への丁原養護学校に関する説明により、原告は戊田小へ転入手続を了することができた。

(3) 戊田小における原告の生活の概要

ア 三学年時の学校生活

原告は、木場教諭との関係は良好で、三学年の間、欠席もなく皆勤賞をもらった(甲一三には「欠席なし。素晴らしいことです。」との記載がある)。

原告は三学年時にも丙山ら数人の女子児童に靴を隠されたり、いたずら電話をかけられたり、髪の毛を縛るゴムを引っ張って取られたり、悪口を言われたり等の意地悪をされるなどしているが、他方で原告と親しかった乙野らは原告を慰めてくれていた。なお、丙山にいたずらをされたときはその都度、原告が花子に報告し、原告又は花子が木場教諭に対して丙山らからのいたずらを訴え、右児童らに対処してもらっていた。

イ 四学年時の学校生活

原告は平成二年四月に四学年三組に進級したが、三学年と四学年では学級替えは行われず、担任教諭が木場教諭から被告乙山に交替した。

原告は、四月は無欠席であったが、五月は七日、六月は一四日、七月は二日(月曜日)から二〇日(金曜日)までの全日学校を休み、右欠席のうち、五月及び六月の欠席理由は、腸炎である旨学校に届け出られているが、七月は腹痛等の病欠届けではなく、花子が自らの判断で原告を欠席させたものである。

なお、花子は四学年時に行われた健康診断で、原告が鼻中隔彎曲症と診断されたとし、これがぜん息の罹患に影響しているものと考えている。

(4) 戊田小からの転校

原告は前記のとおり七月に入ると登校を完全に拒否するようになった。

そこで、原告らは八月半ばころに東京都大田区(現住所)へ転居し、原告は大田区立丙川第三小学校へ転入した。

右学校での原告の欠席日数は、二学期以降の四学年時(担任教諭西村智子)は合計二五日(風邪及びぜん息の発作の欠席、別にインフルエンザのため出席停止三日)、五学年時(担任教諭三宅靖志)は合計六日(風邪のため欠席、別に流行性角膜炎のため出席停止六日)、六学年時(担任教諭三宅靖志)は一八日(風邪及びぜん息の発作の欠席)である。

(5) 現在の原告の状況

原告は平成八年一月現在乙原女子学園に通う中学三年生の生徒であり、現在は、健康で、楽しい学校生活を送っている。

(二) そこで、次に、被告乙山及び斉藤校長の本件一連の具体的行為に関する事実経過について検討するのに、前記認定事実に《証拠略》を総合すると、次の事実が認められ、《証拠略》中右認定に反する部分は客観的裏付けを欠く上、それ自体合理性にも乏しく、その余の前掲各証拠に照らして到底措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 三学年から四学年への引継時の事情

戊田小においては、三学年から四学年への進級時には児童の入替えはなく、担任教諭のみが交替することになっており、原告の属した四年三組は、担任教諭は木場教諭から被告乙山に引き継がれた。

右引継書類の中には、一学年から三学年までの本件指導要録も含まれていたが、被告乙山は春休み中には右指導要録に目を通さず、新学期を迎えたものであり、原告の指導要録に目を通したのは、同被告の本件一連の行為が原告らに盛んに問題視され始めた五月一四日以降のことである。

木場教諭と被告乙山の間での引継事項の打合せは、春休み中に簡単に一〇分程度行われた。その際、同被告は木場教諭から注意事項としていくつかの申送りを受けたところ、その中には原告に関する事項として、丙山と仲が良くないので気を付けてほしいこと、ぜん息を患っているため戊田小転入前は丁原養護学校で療養していたこと及び三学年時には一度も欠席しなかったことの三点が含まれていた。

そこで、被告乙山は取りあえず掃除当番や給食当番、日直等の係で原告と丙山を一緒にしないよう配慮して教室内の座席指定(右各当番は座席の配列により決定される。特段配慮事項がなければ、座席は通常背の順で決められていた)をし、そのほか原告と丙山の二人をよく観察しようと気をつけた。

なお、授業時間は、一時限当たり四五分で、一時限目・午前八時四五分から午前九時三〇分まで、二時限目・午前九時三五分から午前一〇時二〇分まで、中休み(二〇分間)を挟んで、三時限目・午前一〇時四〇分から午前一一時二五分まで、四時限目・午前一一時三〇分から午後一二時一五分まで、そして、給食時間五〇分間及び掃除時間の後、五時限目・午後一時三〇分から午後二時一五分までとなっていた。

また、後記のように原告は五月半ば以降度々学校を欠席し、日中自宅に居ることが多くなったが、両親は共働きのため不在であり一人で過ごしていたものである。

(2) 異常視発言事件について

ア 四月五日(木曜日)の始業日に、児童と担任教諭との顔合わせが行われ、被告乙山は原告を見て、おとなしく、友人の後ろを付いて歩く、余り自己主張をしない子のようであるという印象を漠然と抱いた。そして、四月一〇日(火曜日)の父兄懇親会で、同被告は花子と初めて面接し、その際、同人から原告が四月から既に三回も発熱しており大変苦労している旨の報告を受けた。

イ 四月二〇日(金曜日)に原告は新学期が開始された四月五日以降初めて学校に遅刻したものであるが、ぜん息の発作を理由に一時限目の途中から花子の付添いで登校し、教室へ入ったところ、被告乙山から、学級の児童全員の前で「よく来たじゃない。皆さん甲野さんに拍手しましょう。よく学校に出てきましたから」と言われ、これに応じた児童らから拍手で迎えられた。

被告乙山はこれまでにも遅刻したが頑張って登校した児童に対して拍手で迎え入れたことがあった。

他方、原告は、右対応を受けて恥ずかさを覚え、また、他の児童が不快に感じながら不本意に拍手しているように思うとともに、被告乙山が自分のことを一人では何もできない貧弱な児童のように考えているのではないかとも思った(なお、原告は、同被告の右発言を契機として他の児童から種々の意地悪な発言等をされた旨主張するが、原告本人がその旨供述するのみで、他に右主張事実を認めるに足りる裏付けはなく、右供述を信用することはできない)。

ウ 原告は翌四月二一日(土曜日)登校したものの授業には出ずに、花子に付き添われて保健準備室で待機し、二時限目終了後の休み時間から三時限目(四年三組は体育館での体育授業であった)にかけて被告乙山と面接した。

花子は右面接で、原告が特に丙山から嫌がらせや意地悪をされ、睨まれていると訴えて登校を嫌がっていること及び丙山の三学年当時の様子を報告したが、前記拍手で迎えた件については言及しなかった。原告はその間、ほとんど黙っていた。

被告乙山は、花子の訴えを聞いて、原告を励ますとともに、登校を嫌がっている原告のため、友人関係の希薄さによる原告の寂しさを補おうと考え、その日の放課後、以前木場教諭から聞いていた原告の親しい友人乙野及び同人の母親や原告の近隣に住み、原告と一緒に登下校していた丙田、甲田、戊山に対し、今後も原告と仲良くし、寂しがっている原告の支えになってほしい旨の電話をした。

被告乙山の気付いた範囲では、乙野はその後原告と常に一緒に行動して遊んでいて仲良くしており、また、原告が特に学校で体調を崩すようなことはなかった。

しかし、被告乙山の思惑に反し、同被告から右電話を受けた児童らは、自分たちが原告をいじめていると原告が同被告に告口をしているのではないかと受け取り、あるいは原告だけえこひいきされているとして、原告を右電話のことで責めるということがあった。

(3) 写生事件について

ア 四月二五日(水曜日)ないし二七日(金曜日)ころ、被告乙山は図工の授業で児童に対し、まず、教室で彩色について一般的な指導(筆につける水の量と色の濃さ、重ね塗など)を一五分程度行い、それから戸外へ出て、彩色について児童を巡回しながら実技指導に当たっていた。

その際、被告乙山は原告が写生した木の幹部分を混色で濃く塗っていたので、その彩色を薄めるように指導するとともに、水道のところへ行き、水を含ませた筆を用いて原告の描いた木の幹の色を薄めてみせた。同被告は原告のほかにも数名の児童に対して直接絵筆を取って児童の描いた絵に手を入れて指導に当たった。なお、原告は右写生授業の折、同被告の下手くそ発言がなされた旨主張するが、原告本人がその旨供述するのみで、他にかかる発言を認めるに足りる裏付けはなく、右供述を信用することはできない。

イ その後、五月一〇日(木曜日)に家庭訪問があり、被告乙山は午後四時一〇分ころ一番最後の訪問先である原告宅を訪問し玄関先(どの家庭においても玄関先で話をする程度のものであった)で、一五分ほど花子と面接した。その際、同被告は学校で元気にやっている原告の様子を報告し、家庭での様子を花子から聞いたところ、同人は、友人から原告に対していたずら電話がかかってくるので何とかして欲しいとの要望を述べたが、前記拍手の件や写生授業時の出来事については何も触れなかった。

被告乙山は後日、丙山らがいたずら電話をしたことを認めたため、同人に注意し、二度とそのようなことをしない旨約束させた。

(4) 宿題事件について

ア 被告乙山は、児童が宿題の提出をしない場合、その理由を聞き、宿題をしたものの持参するのを忘れたと答えた児童には翌日これを提出させ、宿題自体をしていないと答えた児童には放課後学校でその宿題をするよう指導していた。

原告は、五月一一日朝、五月九日に出題されていた漢字ドリルの宿題を忘れたと報告する児童の列に並び、被告乙山に対し「宿題を家に忘れてきました」と報告したところ、同被告は「明日もっていらっしゃい」と返答した。なお、原告は、右機会に他の児童から嘘つきなどと囃し立てられた旨主張するが、原告本人がその旨供述するのみで、他にかかる発言を認めるに足りる裏付けはなく、右供述を信用することはできない。

イ ところが、原告は翌五月一二日(土曜日)には欠席し、前日提出を約束した宿題を提出しなかった。花子は、同日二時限目の終了時、被告乙山に電話をかけ、前日の宿題の件に言及し、宿題はしてあるが持参するのを忘れたとの原告の弁解を同被告が信用していないため学校を拒否しているので、原告を欠席させる旨の連絡した。

被告乙山は取りあえず右電話を切ったものの、原告の学校での様子と家庭での様子に異質なものを感じたため、授業終了後花子に面会を求めて電話をし、同日午後二時から午後四時ころまでの間、来校した花子と教室で右宿題の件や写生授業時の出来事について話し合った。写生授業の件については右面接の折、花子が初めて言及したものであったが、同被告は、写生の指導は決して原告の絵が下手だったという理由から直接手を加えたというわけではなく、下手くそ発言などはしていないこと、原告が嘘をついていると非難しているわけではなく、そのつもりもないことを説明し、また、家庭で両親に対し、学校での出来事を事実と食い違うように話す原告の気持ちを受け止め、児童は良い行動をするときもあれば、いたずらをすることもあるし、いつも真実をありのまま語るとは限らないこと、自分に都合の良いように取り繕う行動はよく見受けられるものであるが、そのような面を理解しつつ、子どもの全人格を許容した上で、教育者である担任教諭の自分の指導方法を信じてほしい旨を花子に告げた。

ウ 被告乙山には、花子が同被告の言う事実関係等を理解し、納得して帰宅したように見えたものの、同被告自身、今回の原告のような登校拒否事案を経験したことがなく、また、登校拒否の理由についても判断しかねていたので、他に相談を求めるのが適当かと考えるに至った。

他方、花子は、右面接の結果被告乙山の教育方針に疑問を抱き、以来、同被告を信用しなくなった。

(5) センター事件について

ア 原告は五月一四日(月曜日)、登校しようと家を出たが、神経性の腹痛を起こしたとして帰宅し、昼ころ、いったん自宅学習した成果を記載したノートを学校へ届けに保健室を訪れたが、授業には出ずに帰宅した。被告乙山は原告及びその両親から何の連絡も受けなかった。

イ 同日、市センターの指導主事伊達(以下「伊達主事」という)が、計画訪問(同センターの指導主事が緑区内の小学校を計画的に巡回して訪問すること)の一環で戊田小を訪問した。伊達主事の来校目的は学校の精神薄弱児の学級担任の指導のためでもあったが、同人は午前八時三〇分からの職員会議で、不登校の児童についての相談にも応じる旨話した。

そこで、被告乙山は丁度良い機会と考えて、伊達主事に相談するため校長室へ赴き、伊達主事に朝の職員会議の後二、三分及び授業の中休み(午前一〇時二〇分から午前一〇時四〇分まで)に、原告について、四月ころは友人関係が原因で、五月ころからは同被告への不信感が原因で登校を拒否し始めている児童がいることを相談した。

午前中の相談には被告乙山と伊達主事の二人だけで行われたが、中休みの相談の際には、斉藤校長も同席し、同被告と伊達主事の会話を聞いていた。

被告乙山が、原告は四月二〇日、二一日及び五月一二日、一四日の数日の遅刻や欠席のことや五月一二日に花子との間で交わされた同被告に対する原告らの不信感が感じられる電話の内容、原告が登校を嫌がっていること、学校での出来事とそれに関する家庭での報告が食い違っていること等を告げて原告への対処方法について相談したところ、伊達主事から、原告らに市センターを紹介して相談することを勧めてはどうかとの助言を受けた。

ウ 伊達主事からの助言を受けた被告乙山は、その日の午後三時ころ原告方に電話をかけ、一人で居た原告に対し、翌日の遠足に原告が参加するのを待っている旨伝えるとともに、遠足のことで分からないことがあれば原告の班のリーダー乙野ら友人に聞くように話した。

そして、被告乙山は午後八時三〇分ころ再度原告方に電話をかけ、花子に対し、市センターを紹介し、同センターは登校拒否に関する相談も行っている場所であるから一度相談に行ってみたらどうか、原告及び花子の二人で同センターに相談に行きづらいようであれば、担任教諭として自分も付き添って行く旨話して同センターへ相談に行くことを勧めたものであるが、花子は、原告を登校拒否児童として扱うものであるとして憤慨した。なお、原告は、右機会に、同被告から原告を異常視しているかのような種々の発言があった旨主張するが、花子がその旨供述するのみで、他にかかる発言を認めるに足りる裏付けはなく、右供述を信用することはできない。

他方、原告は被告乙山の電話に従って乙野に対し遠足のことで問合わせの電話をしたところ、同人から「遠足には来るんだ」などと言われたのを、一方的に原告が快く思われていない言葉と受け取った。

エ 五月一五日(火曜日)には、遠足の行事があったが、原告は乙野との前日の電話のやり取りや被告乙山から市センターを紹介されたことなどを気にしてか、結局遠足を欠席し、昼ころ、原告は自宅学習した成果を記載したノートを学校の職員室に届けた。

他方、花子は、市センターに電話をして同センターに関する問合せをした。同人は、原告が特に登校拒否の状態にあるとは考えていなかったので、登校拒否に関する相談は一切せず同センターの対象者について問い合わせたところ、職員の説明から専ら精神薄弱児や特殊学級に通う児童を扱っている施設であるように受け取り、原告が相談に行くような場所ではないと憤慨した。そこで、花子は学校へ電話をかけ、被告乙山が同センターを紹介したことにつき「市センターは春子(原告)の行くところではない。市センターの紹介に当たり校長を通しているか否か」などと激しく抗議した。

同日午後三時ころ、遠足から学校へ戻った被告乙山は、副校長のメモ書を読み、花子の右抗議の電話内容を知った。

そこで、被告乙山は同日午後八時過ぎころ花子に電話をしたところ、同人は同被告が原告を心身異常児扱いしたとひどく憤慨して抗議するばかりであり、同被告が原告の不登校への対処の仕方について相談を受ける方がよいと考えたまでで、決して原告を心身異常児扱いしたわけではないなどと誤解を解くため謝意を表しつつ説明するのに対し、これに耳を貸そうとはしないで一方的に感情的になって様々な抗議の言葉をまくし立て、取り付く島もない応答をするのみであったため、同被告は誤解させた点を謝罪するだけで精一杯であった。

(6) 空耳事件について

ア 五月一六日(水曜日)は遠足の翌日であったため、学校は休みであったところ、花子及び被告乙山はそれぞれ別の機会に校長に対し、市センターを紹介したことに関する事態の推移を報告した。

また、被告乙山は原告方へ電話をし、花子と話をしたが、その中で写生授業の同被告の下手くそ発言問題が話題になった際に、同被告が右発言を否定したところ、花子から「それなら、うちの子(原告)が嘘をついているというのですか」という抗議を受けた。

イ 五月一七日(木曜日)、原告は三時限目に腹痛を訴えて早退した。

同日午後五時過ぎに、原告及び花子が、前記写生授業の際原告の隣に居たという甲田を同行して校長室に赴き、斉藤校長及び副校長に対し、被告乙山の市センター紹介や下手くそ発言及びその否定行為について苦情を訴えた。同被告は右面接に少し遅れて立ち会ったが、そのとき、花子は斉藤校長及び同被告から市センターを紹介した同被告の意図を説明されて一応納得し、市センター紹介の件はもう問題にしなくてよいと話していた。

(7) 責任転嫁事件について

ア 五月一八日(金曜日)、原告は腹痛を伴う下痢の発症を理由に学校を欠席した。そこで、翌一九日、被告乙山は、以前電話で下手くそ発言を否定した同被告に対し、花子からそれなら原告が嘘をついているということなのかと詰問されたことから、原告も同被告に対して不信感を抱きかねないと考え、原告に誤解を生じないようにし、また、同被告の原告に対する胸中を明らかにするため、二時限目終了後の中休みに、教室外の階段に原告と甲田を連れて行き、右両名に対して「先生はあなたたちが嘘を言っているとは思わないよ」、「先生を信じてね」と話をした。

イ しかし、原告は五月二一日(月曜日)と二二日(火曜日)には腹痛を伴う下痢の発症を理由に学校を欠席し、同日午後一〇時ころ、原告の両親は被告乙山の自宅に電話をかけ、原告を他の児童と区別して特別扱いしないで欲しい旨要望した。

五月二三日(水曜日)には、原告は花子に付き添われて登校したものの、腹痛を訴えて保健室で一日過ごした。このとき同伴した花子は被告乙山に対し、原告が保健室で寝ている旨報告するとともに、同被告及び学校の対応次第で横浜市教育委員会(以下「市教委」という)に報告に行くとまで告げて、同被告及び学校の対応を非難した。

また、花子は昼ころ再度学校に赴き、校長室において、斉藤校長、被告乙山を交えて、午後一時ころから午後二時過ぎころまでセンター事件、写生事件、宿題事件及び丙山の両親に対する指導の仕方等について話合いをした。その際、同被告は、市センターを紹介したのは、原告を心身異常児として扱ったからではないが、市センターの紹介は時期尚早であったかもしれない、写生の指導についてはより良い絵を描かせようとしての指導だったが、原告の気持を害したのであれば申し訳ないなどと述べた。しかし、花子は同被告の指導方針に理解を示そうとはせず、右話合いを終えると、授業があるにもかかわらず原告を連れて帰宅した。なお、原告は、右校長室で、同被告が「原告を登校拒否にしてみせます」などと極めて非常識な発言をした旨主張するが、花子がその旨供述するのみで他にかかる発言を認めるに足りる裏付けはなく、右供述を信用することはできない。

ウ その後も、原告は五月二四日(水曜日)には登校したものの、腹痛を訴えて保健室で一日過ごし、翌二五日(金曜日)、二六日(土曜日)及び週明けの二八日(月曜日)と、下痢、発熱、腹痛を理由に学校を欠席し、原告の登校拒否問題は一向に改善しなかった。

被告乙山及び斉藤校長は、右連日の原告の欠席は原告及び花子の同被告に対するわだかまりが理由であろうと考え、五月二八日夕方、同校長の案で原告宅を訪問し、同被告の市センター紹介が、同被告が原告を精神薄弱児のように考えているのではないかという花子の誤解を招いたという点について原告らに対して謝罪をした。このとき同被告は「私が口下手なために大変ご迷惑をおかけしました。すみませんでした」と謝罪し、原告は担任教諭である同被告が自分に頭を下げ、謝罪をした姿を目にして気持が晴れ、胸のつかえが下りる思いがした。

右訪問の際、斉藤校長は花子に対し、原告が体調を崩したら保健室で休んでいてもいいから、とにかく登校させるように指導し、また、被告乙山は次回の図工の課題を原告宅に持参して手渡し、原告は翌日これを完成させ学校に持参して提出した。

(8) 校内捜索事件及び保健室事件について

ア 原告は五月三〇日(水曜日)に登校したが、教室に入ると丙山から「何で来るの。ずうっと休めば」と言われ、また以前宿題を忘れた事に関して「私は宿題を忘れました」という札を首から下げるようにからかわれた。更に、続いて登校した丁川も、丙山から学級図書の返却を忘れたことにつき「私はバカです」という札を下げるようにからかわれたため、原告と丁川は被告乙山に丙山の右意地悪を訴えるため職員室まで赴いた。

被告乙山が職員室を出ようとしたところ、原告と丁川が同被告を待っており、原告は黙っていたが、丁川は丙山からの前記言辞を告げ、このような言動を止めさせて欲しいと訴えた。そこで、同被告は原告と丁川に告口をしても仕方ない旨たしなめるとともに、丙山に注意すべく、両名の先を歩いて教室へ向かった。ところが、右両名は教室へ入って来ず、行方が分からなくなってしまったため、同被告は一時限目授業開始前に乙野ほか女子児童六、七人にしばらく両名を捜しに行かせ、丙山に対しては、前記の意地悪な発言の有無を確かめたところ同人が右発言を認めたので注意をしていた。

イ そして、原告と丁川が依然見つからなかったため、被告乙山は一時限目の終了間近に、残りの時間を自習にして自ら職員室、保健室等を探していたところ、教室へ戻ってくる右両名を発見した。

原告は被告乙山を見るや、今まで同被告に対して抱いていた気持を話し出してその場にしゃがみ込み、疲れた様子を見せたことから、同被告は丁川と共に原告を保健室へ連れて行った。

被告乙山は保健室で三時限目(図書の授業で他の児童は図書室で読書をしていた)ころまで右両名と三人で丙山のことについて話を交わし、自分の小学生時代の例を挙げて、原告と丙山が互いに言いたいことを言い合えるようになるとよい旨話したところ、原告が同被告が同席しないで丙山一人を相手にしてならば話をすると述べた。そこで、同被告は保健準備室に丙山を呼び、原告、丁川及び丙山の三人だけで話合いをさせ、児童同士で問題の解決策を見い出すようにさせた。その間、同被告は隣の保健室で三人の様子を見守っていたが、仲良く話合いをしている様子だったので、他の児童が自習している図書室と保健室を何度か行き来していた。

ウ 三時限目の終了間近に、三人の話合いが一段落ついたと判断した被告乙山は先に丙山を連れて教室へ戻り、次いで原告と丁川を連れて教室へ戻った。しかし、同被告は特に原告と丁川の行動については学級の他の児童に対して格別説明しなかった。

被告乙山は、右経緯で心配させ、また、行方を探すことで迷惑をかけた同学級の他の児童に対し原告と丁川を謝罪させることが妥当と考えて、その旨を告げ、右両名は不本意ながらも学級の児童全員の前で謝罪した。これに対し、他の児童から「どこへ行っていたのか」、「探したのよ」などと言われた。

原告と丁川は自分たちが保健準備室にいたことを被告乙山が学級の他の児童に報告しなかったために、他の児童から右のように言われ、謝罪までさせられたのだと同被告に反感を覚え、四時限目の後の休み時間(昼休み及び掃除の時間)から五時限目にかけて、同被告に告げることなく、原告、丁川及び甲山秋子の三人で校長室へ赴き、斉藤校長に同被告の右対処について不満を述べた。

そして、その後も原告は腹痛や発熱を理由に学校を欠席することが多かった。

(9) 尋問事件について

五月二九日(火曜日)ころから六月八日(金曜日)ころにかけて、被告乙山は度々原告を放課後しばらく教室に居残りさせて、原告と二人だけで同被告が原告から、丙川小学校や丁原養護学校でのことや家庭での会話等色々と原告のそれまでの生育歴に関する話を聞く機会を設けた。なお、右話合いが、原告を詰問したり、尋問したりするといったようなものであったと認めるに足りる客観的証拠はない。

(10) 学級発表事件について

六月九日(土曜日)の道徳授業時に、これまで友人に嫌なことを言われ傷ついたことについて発表するという内容の授業が行われたところ、原告は四月の写生授業時に被告乙山から自分の絵を「下手くそね」と言われて非常に傷ついた旨発表した。原告の右発言により教室内が騒然としたところ、同被告は原告の気持を慮り、下手と言ったか否かについては特に触れずに「先生が傷つけたんだね。ごめんね」と謝罪した。原告の発表の途中、乙川冬子や丁川ら同学級の児童が「先生はそんなこと言わない」と異議を唱えたが、同被告は先の理由からその発言を制止した。

(11) 指導要録読上げ事件について

ア 原告はその後の六月一一日以降登校しない日が多くなり、また、登校しても保健準備室へ通うだけとなった。

保健準備室は通常誰もおらず、六月二六日以降原告が登校しなくなるまで、時々副校長が原告の様子を見に行っており、給食を同学級の友人が保健準備室まで運んでいた。被告乙山も休み時間に保健室へ原告の様子を確認に行ったり、給食を運んだりした。同被告は六月一三日に原告宅を訪問し、太郎に会い、保健室に居るのでもよいから原告を登校させるよう要請していた。

イ 六月一六日(土曜日)、原告は理由を告げず、学校を欠席したが、花子は斉藤校長らに対して話合いの機会を求め、校内捜索事件について保健室で原告が休んでいると知っていたのに、他の児童に三時間も原告を探させるとはどういうことかなどと今までの原告主張の写生、市センター及び宿題の全事件について詰問したことから、斉藤校長は校長室において副校長及び木場教諭同席の折、花子に対し、七月五日に開催される保護者会において原告の置かれている現状報告等をして、原告不登校の事態の改善を図る旨伝えた。

原告及び花子は右校長の言葉に、保護者会で、原告を登校拒否の事態に陥らせたのは被告乙山の指導方法が悪く、誤りがあったからである旨の説明がされるものと一方的に期待したが、斉藤校長らは、協議の結果、保護者会で討議するのは、かえって事態を紛糾させることになりかねず、適切な対処にはならないという結論に達し、結局、保護者会では右問題について報告をしないことになった。

ウ そして、七月五日(木曜日)の保護者会においては、副校長による原告の現状報告等はされず、ただ、被告乙山が学級児童の父兄に対して、原告が登校拒否を起こしている現状及びしばらく原告の様子を静観する方針であること等を報告した。

これに対し、七月六日(金曜日)に花子及び原告は、校長室を訪問して斉藤校長に対し、前日の保護者会で原告についての報告がされなかったことを非難した。原告の両親と学校側の本件一連の話合いの中で、副校長は、登校を嫌がる原告に対する改善策の一つとして教育指導の観点から花子に前学校(丙川小学校)二学年のときに自分の気に入らないことをされると友人をとても攻撃すると指導要録に書いてあるが、原告は友人関係はどうだったのかと尋ねたことがあった。

(12) スイミングスクール事件について

ア 原告は登校は拒否していたが、スイミングスクールには通っていたところ、右スイミングスクールも止めた。原告本人はその理由について七月一〇日ころ、同級生から伝染病にかかっているのかというようなことを言われて精神的衝撃を受け、以後スイミングスクールに通う気力を喪失したためであると述べている。

イ そして、七月一九日(木曜日)ころ、太郎だけが副校長に呼ばれて学校へ赴き、太郎、被告乙山及び副校長の三者でスイミングスクールでの右出来事について話をした。

その際、太郎が、原告の欠席理由を伝染病のためと被告乙山が学級の児童に説明しているのはどういうことかと詰問したので、同被告は右言動を否定し、学級の児童に対しては、常々花子から原告の欠席理由につき腸炎との連絡を受けていたことからそのとおりに説明していること、しかしながら原告は頑張って登校しようと努力しているからみんなも温かく励ましてあげようと話していることなどを説明した。

翌七月二〇日(金曜日)は終業式であったが、原告は学校を欠席し、以後戊田小に登校することなく、転校して行った。

なお、被告乙山は八月八日付けで原告らに対して手紙を交付しているところ、右手紙の内容は、同被告への原告らの不信感をできるだけ取り除き、また、原告に対して意地悪をする児童との接し方等を教え、原告を教育指導していこうという趣旨に尽きているものである。

(三) 以上のとおりの事実が認められる。

2 被告乙山、斉藤校長の行為の違法性について

(一) 原告の主張は、主として被告乙山の原告に対する教育作用が違法であったとして、右により原告が被った精神的苦痛に対する損害賠償を求めるものである。

ところで、被告乙山は横浜市立戊田小学校の教諭であるから公務員であり、その行う教育作用は公権力の行使に当たるところ、前記原告が違法と主張する同被告の一連の行為はいずれも教育作用の一環として行われたものであることが明らかであるから、いずれも公権力の行使に当たる(この点については争いはない)。

そこで、被告乙山の右教育作用の行使が違法であるというためには、原告が主張する一連の各事件の具体的状況下において同被告らが行った原告に対する教育作用に、公立小学校教諭として付託された職務上の法的義務違背があるとの評価を受けるものでなければならない。そして、右法的義務は、同被告らの職務遂行の依拠する法令を根拠として導き出されるものというべきである。

これを被告乙山について検討すると、同被告は、当時戊田小の原告の属する学級の担任教諭であり、原告を含む受持児童全員に対する小学校教育をつかさどる職務権限を有していたものである(学校教育法二八条六項)。また、小学校教育の目的は多岐にわたるが、基本となる目的として、およそ人たるものにとって、日常生活を円滑に行っていくに際して、共通に必要な一般的かつ基礎的な教育を施し(同法一七条参照)、学校内外の社会生活の経験に基づき、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うことが掲げられている(同法一八条一項一号)。ちなみに、学校教育の基本法である教育基本法は教育の目的として「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(教育基本法一条)とし、右教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならないとされており(同法二条前段)、学校教育だけでなく、家庭教育等社会教育も同様に本来的に重要な役割を有するものであることはいうまでもない。右教育基本法の掲げる目的は当然小学校教育においては先の学校教育法一八条一項一号として引き継がれているものである。そして、教育作用という事柄の性質上、かかる職務権限をゆだねられた教諭は、右目的を達成するために合理的な範囲で裁量権を有することは明らかである。

以上のとおりであり、被告乙山が原告に対して行使した教育作用の違法性の有無の判断に当たっては、原告主張の各事件の個別事情の下で右に指摘した観点に立って、同被告に職務上の法的義務違背があったといえるかどうかが個別具体的に判断されなければならない。

(二) そこで、前記認定の事実に照らして被告乙山の本件一連の行為が違法行為か否か、すなわち、原告の主張する各事件の具体的状況下において、同被告に課される職務上の法的義務いかん並びに同被告が採った教育指導方法が右法的義務に違反したかどうかについて考察する。

(1) 異常視発言事件について

被告乙山は、四月二〇日ぜん息の発作のため遅刻しながらも一時限目の途中から花子の付き添いで登校した原告を教室に迎え、学級児童全員の前で「よく来たじゃない。皆さん、甲野さんに拍手しましょう。よく学校に来ましたから」と発言し、これに応じて児童達は原告を拍手で迎え入れたことは前記認定のとおりである。

被告乙山の右言動の経緯に関する前記認定事実に基づき考察すれば、同被告の右言動は、ぜん息で苦しみながらも登校した児童の努力と頑張りを評価して、原告を褒め、元気づけるとともに原告の右姿勢が他の児童に対しても好影響を与えるようにという担任教諭としての教育的配慮から出た行為であると評価するのが素直な理解というべきであり、原告を異常視あるいは障害児扱いしての発言であるとか、原告に対する悪意をもって臨んでいたとか、他の児童の嫉妬心をかき立てる結果をもたらしたなどの事実を窺うことはできないというべきである。

なお、原告本人は、被告乙山の言動により学級の児童のいじめが助長される結果となり、友人関係で悩むようになった旨供述するが、遅刻して登校した本人としてみれば、右のような学級児童全員からの出迎えは多少おもはゆい思いや、恥ずかしい思いを抱いたであろうことは推認に難くないが、右は健全な心理反応であり、何ら児童の成育に悪影響を及ぼすようなものではなく、むしろ、人が集団社会の一員であることの自覚を具有していくきっかけとなることでもあり、同被告の前記対応は相当の評価をすべきものである。

また、担任教諭が受持学級の中でいじめられている児童に気づいた場合には他の児童から浮き上がらないよう、同人と親しい友人に連絡を取ることは通常よく採られる生活指導方法であるところ、被告乙山が乙野ら原告の友人に電話連絡を取り、原告をよろしく頼むと頼んだ前記行為も何ら問題はなく、この点についても同被告に担任教諭として格別の注意義務違反は認められない。

さらに、原告は掃除の際の被告乙山が「面倒を見てあげて」、「掃除の仕方を教えてあげて」等の発言をしたことに起因して、丙山から同被告の右言動を悪用するいじめが発生したとも主張するが、右主張内容を裏付ける的確な証拠がないばかりか、仮に右主張の発言事実があったとしても、これをもって、同被告に前記注意義務違反があるということはできず、違法はない。

右のとおりであり、異常視発言事件に関し、被告乙山に違法な言動があったとする原告の主張は理由がない。

(2) 写生事件について

写生事件の経緯は前記認定のとおりであるところ、被告乙山の前記指導方法は写生の指導方法として格別問題視するような点はないというべきである。すなわち、同被告は、図画の指導に当たる教諭として、児童が美術について基礎的な理解と技能を養うことができるよう(学校教育法一八条一項八号)、基礎的な講義を行い、また、実際に教諭自身が絵筆を執って実技指導に当たるなどして、その職責を果たすべき義務があるところ、同被告の原告に対する指導は単に口先の助言だけでなく、教諭自身が児童の作品に対して直接手を加えるという通常よく行われる指導方法を採ったものであり、写生指導の方法として違法、不当視すべき点は見い出せない。

なお、原告は他の教科に比して特に写生に自信を有していたためか、彩色方法を注意された上、自己の作品に手を加えられたこと自体に傷つき、過剰な反応を示し続けたようにも窺われるが、そうだとしても、このような事情をもって絵画の指導に当たる教諭に注意義務違反があるとして、右指導を違法と認めることができないことは明らかである。

また、原告は斉藤校長の報告書に被告乙山の下手くそ発言を認めている部分のあることを指摘するが、同校長は写生授業当時現場に居合わせたわけではなく、ただ原告らの言い分をそのまま右報告書に記載したにすぎないものと認められるから、右報告書の記載をもって、原告の主張を裏付けることはできないというべきである。

(3) 宿題事件について

@前記認定のとおり、被告乙山は宿題を持参し忘れたという原告に対して翌日持参するように注意したにすぎないのであって、同被告の右対応には何ら適切さを欠く点は見い出し難く、違法を論ずる余地はない。

ちなみに、結局、原告が提出期限までに宿題を提出しなかったこと自体は明らかなのであるから、花子においても母親として、原告が提出期限を守らなかったことの非について、素直に認めて改めようとする態度を原告に教えるべきであったということができよう。

(4) センター事件について

《証拠略》によれば、市センターは、被告横浜市が心身に障害のある幼児、児童、生徒のため、就学前から学校教育終了後の進路相談までの一貫した相談及び指導を行うこと等を目的として設立した教育施設であり、すべての心身障害児(視覚障害、聴覚障害、精神薄弱、肢体不自由、病弱・身体虚弱、言語障害、情緒障害(登校拒否も含む)、重度・重複障害)を対象に就学指導や教育相談を実施するとともに、学校とも密接に連携を取って指導助言を行い、また、心身障害児の母親を対象に障害に対する知識や理解を深めるための講座(母親教室)も実施しており、右指導や相談には、教育、医学、心理学等の専門的知識を備えた者が当たり、心身障害児のための教育の総合的専門機関であることが認められる。

そして、五月一四日ころの原告は、学校と家庭とでその様子が著しく異なり、また、友人や担任教諭との関係悪化を理由に登校が困難になっているという典型的な心因性ないし情緒障害による登校拒否の傾向の兆しが窺われる状況であったことは前記認定のとおりであるから、このような状態にある原告は、一応市センターの対象児童に該当するということができる。

すると、被告乙山が、右のような児童を預かり、教育指導する立場に置かれた担任教諭として、前記認定の経緯の下で花子に対し市センターを紹介したことは合理的で適切な措置であったというべきであり、同被告にゆだねられた教育指導方法として非難されるべき点はなく、違法を論ずる余地はない。

また、右紹介の手順ないし手続については格別の法律上の規定はないのであるから、前記認定の被告乙山の処置に何ら手続上の違法問題が生じる余地もない。

(5) 空耳事件及び責任転嫁事件について

右各事件に関する事実の経緯は前記認定のとおりであり、被告乙山が行った花子及び原告に対する写生事件についての説明(原告主張の空耳事件及び責任転嫁事件における同被告の言動)には何ら違法とすべき事由は見い出し難い。

(6) 校内捜索事件について

前記認定の原告と丁川の保健室への逃避の経緯に照らすと、被告乙山が右両名の所在を確認するためにとった処置及び右両名を他の児童に対し謝罪させた処置は、担任教諭として教育的配慮に欠けるところはなかったというべきである。

右のような場合にいかなる指導を行うかは、前記認定の教育目的の下に担任教諭である被告乙山の裁量にゆだねられているものというべきところ、殊に、謝罪をさせた点については、原告と丁川の密やかな保健室への逃避のため、これを知らない同被告や他の児童は授業を犠牲にしてまで右両名の行方を心配し、校内を探し回ったというのであり、小学生とはいえ、四学年に達している児童が、右のような騒動を起こし、担任教諭や他の児童に多大の迷惑をかけた無責任な行動を放置することは教育指導上著しく適切さを欠くものであるから、同被告が右謝罪をさせたことは、右両二名についてだけでなく、他の児童に対しても、このような具体的事件を通じ、学校生活の場では担任教諭の監督下に置かれた児童として、授業時間に教室以外の場所に行く場合にはまず担任教諭の許可を得るべきであるという行動規範と責任を自覚させるものであって、教育的配慮に基づく適切な指導であったというべきであり、同被告のとった右指導に違法を論ずる余地はない。

(7) 保健室事件について

学校教育という集団教育の場においては、児童が他の児童との様々な態様の接触を通じて社会生活の基本的な行動規範を修得し、成長して行くという面がある。したがって、児童間の衝突等が友好的でない場面を一切抑制し、児童の行動を抑制、管理することは適切とは言い難く、その衝突等が児童間に通常認められる程度を超える過激なものであって、集中的継続的に行われるような場合でない限り、教育的観点から、実情に応じて柔軟にその対応を考えていくべきである。また、小学校低学年の児童の場合、学級内の些細な衝突でも自主的な解決能力に乏しく、担任教諭に訴え、その庇護を求めようとする傾向のあることは経験則上明らかなところであるが、高学年になるにつれて、児童間のある程度の対立問題は当該児童同士で解決策を模索することが可能であり、また、そのような指導を行うことにより児童の責任感を伴った自主的な行動能力を養うことにもなるということができよう。被告乙山も四学年児童の担任教諭として、かかる点に配慮を尽くした教育指導を行うべき義務があるところ、その具体的方法は、具体的事象の下で同被告の裁量にゆだねられているものというべきである。

ところで、被告乙山は、丙山の意地悪な言動を止めさせるよう救いを求めてきた原告と丁川に対し、一方で右訴えを告口としてたしなめるとともに、他方で児童間で解決するよう丙山を交えた話合いの場を設定したことは前記認定のとおりである。

そこで、被告乙山の右対応に違法とすべき点があるかどうかを検討するのに、まず、丙山の言動は、年齢相当の通常児童間のやり取りの域を超える異常なものとは到底認められず、したがって同被告が、原告と丁川の訴えをその内容から、児童間に通常見られる些細な衝突であって、教諭が干渉するまでもなく、児童間で解決させるべき問題であるとの判断の下に、児童だけの話合いの場を設けた処置は、児童同士で衝突しながらも話し合い、問題を克服させることにより、児童なりに自主的な問題解決能力を養い、全人格的な成長を遂げさせることを目的とした教育的配慮に基づくものとして、相当な措置と評価できるものであり、これに、同被告は漫然と三人の話合いを放置したわけではなく、隣室に待機するなどしてそれとなく事態の推移を見守っていたことを併せ考慮すると、同被告の右対応処理に違法性を見い出す余地はないというべきである。

(8) 学級発表事件について

右事件に関する事実経緯は前記認定のとおり、右事実に照らすと、原告ばかりでなく、他の児童への教育的配慮も必要な道徳授業中の被告乙山の行為に教諭としての教育的配慮に欠ける注意義務違反があったということはできない。

(9) 尋問事件について

児童の問題行動等について児童から事情聴取する場合、教諭としては、児童の心身発達に応じ、児童に苦痛を与え、その人権を違法に侵害することのないよう配慮すべきであるところ、尋問事件に関する前記認定事実に照らすと、原告ら、殊に花子の事実認識、物事への対処方法には合理性を欠く部分のあることを否めず、このため、被告乙山は原告に対する指導方法を模索して悩み、原告の置かれている状況を正確に把握する必要を感じ、原告から、生育歴や家庭環境等に関して事情聴取を図ったものであると理解することができる。

すると、被告乙山の右事情聴取は担任教諭の裁量にゆだねられた教育指導方法の範囲内にあることが明らかであり、その質問事項が原告や花子の気に障る事柄に及ぶことがあるのもやむを得ないのであり、前記認定のとおり、同被告が原告主張の丁原養護学校でのこと、丙川小学校でのこと、家庭において学校での出来事をいかに話しているのかということ等にわたる内容、程度の事情聴取に及んだことをもって、右裁量の逸脱、濫用にわたり、原告の人権侵害に当たるなどとして違法、不当の問題を生じ得るなどは到底肯認し難いものというべきである。

なお、原告は被告乙山の態度及び方法が「警察による尋問」のような強迫的言辞を用い、原告を威圧して、以後原告が登校を拒否するという心理的拒絶反応を必然的に誘発する程度のものであったと主張し、原告本人はこれに沿うかのような供述をするが、これを認めるに足りる客観的証拠はない。

(10) スイミングスクール事件について

前記認定のとおり、原告は、五月半ばから、登校しても保健室に篭もりきりになるか、体調の悪化を理由に早退するかのいずれかという事態が続き、六月二三日以降は学校を欠席し続けていた。このような状況下にあって、被告乙山は、花子が原告の欠席理由として報告していた腸炎との欠席理由を同学級の児童にそのまま説明していたことは前記認定のとおりであって、右以上に同被告が原告が伝染病にかかって学校を欠席していると児童に告げたことを認めるに足りる証拠はない。

また、学校外で、受持学級の児童が原告に対していかなる言動に出るかについてまで、担任教諭である被告乙山が常に監視して注意を与え、行動を抑制しなければならないという法的義務はないから、仮にスイミングスクールにおいて児童が原告に対し「病気がうつる」などと言ったとしても(原告がその旨供述するだけであり、右事実を認めるには足りないが)、右発言について同被告に注意義務違反を問う余地はないというべきである。

(12) 以上検討のとおり、被告乙山の本件一連の行為は、いずれもその個別具体的状況に照らし、担任教諭としての法的注意義務に違反した行為とは認められず、違法行為には当たらないというべきである。

かえって、原告の両親は保護者として原告を小学校に就学させる義務があるところ(学校教育法二二条一項本文、教育基本法四条一項参照。なお、右義務違背には同法一九条で罰則が設けられている)、右両名殊に花子がとった前記諸対応をみるとき、自らもかかる義務を負担していることの認識を欠いていたのではないかと思われる。また、そもそも本件で原告の主張する違法行為ないし事件のほとんどは、仮に原告主張どおりであったとしても、通常であれば本件のような問題に発展するようなものではない。殊に、宿題事件、校内捜索事件、給食を運ばせる等保健室での勝手な過ごし方などは原告に一方的な非があり、原告に弁済の余地はないというべきである。

(三) 斉藤校長の原告らに対する対応について

(1) 校長は、校務(教諭のつかさどる教育を含む学校の仕事全体・学校教育の事業を遂行するため必要とするすべての仕事)をつかさどり、所属職員を監督する職責を担っており(学校教育法二八条三項)、右立場にある者として学校が児童・父母に教育責任を果たし得るために適宜の方法により学校全体として児童の健全な育成を期すべきである。

そして、通常は、担任教諭と保護者間において、家庭訪問や保護者会、授業参観等の機会に、相互に児童に関して目の行き届かない場面について状況の把握ができるように努め、学校と家庭との連携を密にして、児童に関する情報交換をすれば、右職務行為として欠けるところはないのであるが、本件においては、原告の両親とりわけ花子からの被告乙山の処置についての苦情申立てがなされ、斉藤校長らも、なるべく両親の意に沿うべく対応した経緯が窺われることは前記認定のとおりであって(指導要録の件について証拠により認められるのは、原告の両親との一連の対応の中で、副校長は登校を嫌がる原告に対する改善策の一つとして、教育指導の観点から花子に前学校(丙川小学校)二学年のとき自分に気に入らないことをされると友人をとても攻撃すると指導要録に書いてあるが、原告は友人関係はどうだったのかと尋ねたことがあった程度のものである)、右一連の対応に違法な行為があったと認めることはできない。

なお、本件指導要録の読上げの件に関する事実関係は前記認定のとおりであるが、仮に、斉藤校長が原告に対し、主張のような言辞をもって注意を与えたとしても、当時の原告の行状に照らし、将来の社会人としての健全な成育に危惧を覚えるような状況であったこと、それまでの花子の被告乙山や斉藤校長らに対する著しく合理性を欠く対応等を併せ考慮すると、右発言のあることのみをもって直ちに違法とまでは認め難いというべきである。

(2) なお、大田区公文書開示条例一三条の規定に基づく諮問についての答申(以下「本件答申」という)及び裁決によれば、東京都大田区公文書開示審査会(以下「審査会」という)では「校長が指導要録のうち、児童のマイナス評価部分のみをとりあげてこれを口頭部分開示し、もって児童及び保護者の心情をいたく傷つけたことが認められ、校長の行為は教育者としての自覚と愛情を欠くものであって、指導要録を悪用したものといわざるを得ない」と判断しており、また、大田区教育委員会は右審査会の判断を妥当として指導要録の非開示決定処分の取消しをしたことが認められるものの、本件答申では市教委や斉藤校長、被告乙山の事情聴取が何ら実施されず、一方当事者である審査請求人(原告ら)の言い分及び原告の手記(別紙三)のみに基づいて判断がなされた結果、原告の主張どおりの事実経緯を前提として審査会及び大田区教育委員会が判断を下していることからすれば、《証拠略》に記載された前提事実及びその評価を直ちに採用することはできない。

(四) 以上のとおりであり、原告は被告乙山の行為を中心に斉藤校長の言動にも言及し、原告を同被告の受持学級ないし戊田小から排除しようとの意図の下に違法な行為を重ねたと縷々主張するが、いずれも理由のない筋違いの非難であり、失当である。

3 以上のとおりであり、被告乙山及び斉藤校長のいずれの行為にも被告横浜市の教育に従事する公務員として負うべき注意義務に違反するところは認められないから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がなく、失当というべきである。

三  よって、原告の本訴請求はいずれも理由のないことが明らかであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤村 啓 裁判官 白石 哲 裁判官 堀内靖子)

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